孫に「王冠をつけた娼婦」と呼ばれたエカテリーナ2世
歴史上の女傑はスケールが違います。孫に「王冠をつけた娼婦」 まで呼ばれてしまったエカテリーナ2世も強烈な人生を送った女性のひとりです。
今日は、いつもと違って少しばかり歴史上の女性の話を書いてみたいと思います。
20年も前のこと、ロシアのセントぺテルスブルクにツアーで旅行をしました。セントぺテルスブルクといえば、エカテリーナ2世の都です。ソビエト連邦時代は、レニングラードと呼ばれていました。
10とも12人ともいわれる公認の愛人を持ち、その他にも数百人の異性とのかかわりがあったといわれるエカテリーナ2世。抜群の政治手腕と、尽きることのない生命力に恵まれた女帝の物語ということで…興味がつきません。
20前の私は、池田理代子さんのエカテリーナ2世のマンガを読んだこともなければ、世界史も高校生レベルから全く進化してない知識しかなかったので、エカテリーナ王妃がそんなに強烈な人だとは知りませんでした。
エルミタージュ美術館もその他のエカテリーナ王妃の宮殿も、女性的というか、威嚇的ではない柔らかいテイストが感じられて、女性の美術コレクションや女性の建てる宮殿って心地いいなくらいに気楽に考えておりました。
エカテリーナ2世の栄光に隠された秘話を全く知らなかったなんて。事実は、小説より奇なりです。
エカテリーナ2世は、北ドイツの小貴族の娘、ゾフィー・アウグスタ・フレデリーケとして生まれます。幼い時から英才教育を受け、14歳の時には、皇太子妃候補として、サンクト・ペテルブルクに母親と移住し、ロシア人に受け入れられるために、壮絶な努力をします。
その努力が認められたエカテリーナは、ピヨートル3世の妻となり、エリザヴェータ女帝が逝去すると、愛人の皇后即位を画策するピヨートル3世を倒して、クーデターをおこし、女帝に即位します。
その後、約30年にわたり、皇帝としてロシアを統治し、領土を拡大しました。その栄華を伝えるのが、エルミタージュ美術館のコレクションン数々です。
エカテリーナは奔放な異性関係とは裏腹に、流血の惨事を避けながら、手堅い統治をおこないました。恋愛と政治はきっちりと分け、愛人が権力に取り入る隙をあたえることはありませんでした。
ちなみに、エカテリーナ2世を「王冠をつけた娼婦」と評したのは、エカテリーナ2世の第一皇子であるパーヴェル1世の子どものニコライ1世。王族の複雑な家族関係を象徴していますね。
エルミタージュ美術館のサイトはこちら↓
hhttp://hermitage--www.hermitagemuseum.org/wps/portal/hermitage/